2021 11月の活動と進捗状況をご報告 

11月6日、地元の人気スポット、プティバザールでのライブ・コンサートで幕開けした11月は、予期せぬ大変な月になってしまいました。14日に大きなテロが起こり、続いて16日にもテロがありました。リードボーカルのマブドゥの従弟(いとこ)が14日に襲われた憲兵隊にいて、未だに消息不明で、とても沈痛な気持ちです。
ボボでもワガドゥグーでもドーリでもデモが行われ、政府のテロ対策の無能を糾弾して大統領の辞任を求めました。同時にに「フランス軍出ていけ!」も叫ばれていますから、今ここにオペラ制作チームのエルベ(フランス人です)が来ていなくて良かったのかもしれないと思いました。
14日のテロは金鉱のある場所で起こりました。ブルキナファソには金鉱がたくさんありますがよくテロの標的になります。マブドゥの一番仲良しの従弟のバキスの弟が襲われた憲兵隊にいたのです。17日の朝、バキスは朝から男泣きに泣きながら電話してきて、マブドゥに軍の本部に出向いて情報を聞いて来てくれと頼みました。バキスは警察官でマリとの国境警備に就いていて、職場を離れられなかったので。
そこでマブドゥは朝食もそこそこに出掛けましたが、結局安否は確かめられず… 焼かれてしまった犠牲者たちも多いらしく、そうなると誰なのか確認できないそうです… また、国民の怒りが盛り上がってきているので、政府は本当の死者数を隠して少なめに言っているという噂もありました。
こういうアフリカの現実をオペラでは描こうとしていますが、現実の只中にいてその現実を描くのは難しいとあらためて感じています。

クーデターが準備されているという噂もありました。マブドゥや周りのブルキナファソ人の言うには、カボレ大統領はずっと過酷な条件をフランス政府から突きつけられ続けていて、それに抵抗すると(Noと言うと)フランスがテロリストを操作してあちこちで攻撃をさせている、というのです。そして最後にはクーデターが企てられ、降ろされてしまうと…
もちろんフランスの公式な発表とは全く異なる内容ですが。

17日夜、私たちの住むブルミューグで大規模なデモがありました。フランス軍がたくさんの戦車などの大型兵器をコートジボワールの港で荷揚げし、ブルキナファソ領内に入り、ボボ経由でワガドゥグーへ輸送中でしたが、それを止めようとしていて起こったデモです。「フランス、出ていけ」「私達はあなた方を必要としない」がシュプレヒコール。
一般市民が旅行するときには、あちこちで止められて検閲を受けます。でもフランス軍の武器輸送などは一切の検閲を受けず、ひいてはテロリストたちも検閲を受けることなく行き来しているというのです。(それが可能なように裏で手筈がされているとのこと) だからブルキナファソ国軍よりずっと優れた武器を持つテロリストたちは国中を自由に動いてテロが収まるはずもないとの話です。
制作チームのビデオアーティストのエルベは1月半ばにブルキナファソへ来て、ボボの公演の準備に加わる予定です。ブルキナファソ人は基本的に穏やかですし、国家としてのフランスやフランスの政策を嫌悪していても、フランスから来ている一個人に対して暴力的になったりすることはまず考えられない人たちです。もちろん個人的にエルベを知る人たちのエルベに対する気持ちは以前と何も変わらないと思います。ですが、現在の雰囲気を考えますと、来てもらうことに少しためらいがあります。
同じく17日に、テロリストたちと内通していたと見られる軍の上層部の人が逮捕される直前に自殺したそうです。14日に襲われた部隊は、かなり前から食糧が底を突いてしまい、うさぎを狩りに行ったりして細々と食いつないでいた状態で、病気の人の薬なども全然補給されていなかったことが判明、それはそういったものを調達する命令を出すはずの人がテロリスト側と内通していて、その手配をわざと止めていたというのです。その当の人物の自殺で、組織的犯罪を洗い出すことが難しくなったとか…

1958年にギニアが他の諸国に先駆けてフランスから独立した時、ギニアを去ることになった3000人ほどのフランス人たちは、価値あるものを様々略奪した挙げ句、植民地時代につくられた学校、保育園や、本国に持ち帰れない車、トラクター、いろんな設備、牛などの家畜、蓄えてあった食料にまで放火し、破壊し、独立なんてしようとしたらこうなるからな!と周辺諸国に見せつけたそうです。トーゴはその後、穏健に独立を果たそうとし、当時の大統領は旧植民地税の支払いにもサインしたけれども、自国の通貨だけは作りたいと思い、それを始めた3日目に、フランスの雇った元フランス外人部隊(アフリカ人だけど、フランスに雇われている傭兵です)に暗殺されました。
未だに「植民地時代のフランスの恩恵に対して」という名目で、莫大な旧植民地税なるものをアフリカ13カ国に支払わせている
(トーゴは2014年までの支払い)実態は、悪い冗談としか思われません。そもそもcfa(西アフリカに旧植民地が今も使わされている通貨です)はEU連合からも避難されている邪悪この上ないシステムで経営されています。それやこれやで毎年5000億ドルがこれらアフリカ諸国からフランスの国庫に流れ込んでいく仕組みです。5000億ドルというのはフランスの国家予算(歳入)の36%に当たるのです。
この他にも様々のやり口でアフリカからお金を吸い上げているフランスは、まさにアフリカにどっぷり依存したパラサイト国家です。全てのフランス国民にこの事実を知って、それを恥ずかしく思わないのか、本気でこれを続けるのか、自問してほしいです。知らないというのは許されるべきことではないと思います。

20日土曜日の夜遅くから、ブルキナファソ全土の公共WiFiがストップしました。各社(といっても全部外資系です)一斉にです。電話は出来ましたが、インターネットアクセスやモバイル通信はだめでした。各地の市民が連携してデモをするのは難しくなってしまいました。それが目的だったのでしょうけれども。
ほとんどの人民がコミュニケーションできなくなっている8日の間に、フランス軍はデモにより足止めを食らっていたカヤという都市からワガドゥグー方面に引き返し、今度働いて迂回した道を通ってニジェール領内に入り終えましたが、そこでは凄絶なデモが起こり、市民の血が流されました。

22日に、私たちは沈痛な中、朗読会を行い、オペラの台本のもとになっている小説の第一章を深く理解することに努めました。コンゴ共和国での市民戦争
を描いている第1章です。今後も2章、3章の朗読会を続けていきます。
19日にワガドゥグーのフランス文化センターの新しいディレクターと会見し、3月5日に大ホールで公演することになりました。これについては少し悩みましたが、そこがブルキナファソ国内で一番音響設備などの優れたホールであることは否めず、かつ収入源も必要ですし、作品を通して何かを訴えていくとしたら、そこでやることも意義があるという判断になりました。
下旬には次々とラジオ局を訪問し、私たちの曲を流してもらったり、番組に生出演する話が決まりました。
1月には、もうすぐオープンする新しいスタジオで2枚目のアルバムを録音する予定で、新曲の練習に励んでいます。マブドゥも創作に集中する時だけ、心を押し潰す心配から瞬時開放されるようです。でも、もちろん新曲は今の心情を組み込んだものです。

消息不明の従弟は、テロリストの捕虜になっている可能性があります。生きていてくれることを信じて待つしかありません。


2021 10月の活動と進捗状況のご報告

10月の活動と進捗状況をご報告させていただきます。オペラのストーリーの基礎となる小説を執筆しているマーシャルさんから第2章、3章が届いて、それらのシーンに作曲し、新しい部分を週3回集まって練習しています。第2章はアンゴラから逃れてきた政治難民のストーリー、第3章は幼い妹をマラリアで失う場面です。雨季にはマラリアが猛威をふるい、身の回りでも次々に子どもたちが亡くなりました。まさにアフリカの現実です。マーシャルはアフリカの様々の混乱をブラック・コメディ風のタッチで描きますが、妹の死の場面は純然たる悲しみに満ちています。 
ブラック・コメディと悲劇が入り交じるストーリーを舞台で効果的に展開していくための、舞台用脚本の制作のためにジュスタン·ディアラさん(Justin Diarra)に制作陣に参加してもらいました。彼はグリオの出身ですが元々学校のフランス語教師で、遠い学校に毎日自転車で通っていましたが、その自転車をある日盗まれ、通えなくなって学校をやめざるを得ませんでした。今はグリオの伝統技の織物の仕事をしていますが、文才豊かで、グリオの芸能の衰退を憂う彼は、トーキングドラムについての詳細を個人的に記述してまとめたりもしています。 


キャンペーンページの概要でもお知らせしましたが、ブルキナファソの歌姫マイ·リンガニさんがプロジェクトに加わってくれて、チーム一同素晴らしい刺激を受けています。彼女はブルキナ·エレクトロニクスというバンドでヨーロッパでも活躍していて、現在もヨーロッパツアー中です。離れていても、私たちの新曲の録音をファイルで送り、それを聴いて彼女のパートを準備してくれています。ヨーロッパ社会の習慣や仕事の進め方にも精通している彼女のような存在が加わってくれたことは、私にとっては本当に有り難いのです。アフリカにはアフリカの物事の進め方がありますが、それのみを押し通すと国際的なプロジェクトとして動くのが難しい場合もあリます。彼女はとても謙虚な人柄で、決して高みから物を言ったりはしませんが、彼女の態度や振る舞いそのものがみんなに国際人としてのモデルを示しています。 


リードボーカルのマブドゥは、最近ボロボロのスマホをようやく買い換えることができ、スムーズになった通信でマネージャー的役割に邁進し始めました。早速、P'tit bazarというワガドゥグーの人気スポットに売り込みに行って、コンサートの仕事を取ってきました!11月6日土曜日に演奏します。オペラの中の曲をメドレーで演奏し、コメディも間に入れていきます。そのため来週は毎日リハーサルです。 


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概要

制作進行中の学際的プロジェクト·オペラ「LÀ-BAS OU ICI…」は、西アフリカ·ブルキナファソで、作曲家·藤家溪子が制作しているフランス語と他のいくつかの現地語によるオペラです。 2019年に開始されたこのプロジェクトは、多様な文化、言語、芸術形式を組み合わせて、包括的でオープンな芸術作品を実現しようとしています。 タイトルは、このオペラの台本に、原作を提供したコンゴ人Moyi Mbourangonが、フランス語で書いた小説「中絶された未来の夜明け…」 から借りたものです。 画像撮影はフランス人アーティスト、Hervé Humbertによるものです。 藤家溪子率いる制作チームに、今後、役者/ダンサーが加わろうとしています。 

  藤家溪子は国際的な作曲家であり、すでにいくつかのオペラを発表しています。 このプロジェクトでは、彼女の経験と西洋のクラシック音楽、および伝統的な東アジアの音楽に関する深い知識が、西アフリカの音楽及びその精神と対話し、渾然と一体化しています。

  楽譜の存在がなく、口承伝承で音楽を伝えてきたアフリカの伝統音楽継承者たちとのオペラ制作には、丁寧なコミュニケーションと、じゅうぶんな時間をかけることが不可欠であるため、オペラ全4幕の完成と公演は2023年を予定しています。

  すでに現地(ブルキナファソ)のGoethe Institutで、最初の部分公演が2020年12月に行われており、2021年4月にはInstitut Françaisで第1幕の公演が行われます。

  全4幕完成後は、アフリカ諸国、フランス、ドイツ、そして日本での公演を目指しています。

 

 音楽: Keiko Fujiie, Maboudou Sanou
 台本: Moyi MBOURANGON
 演奏: Keiko Fujiie, Maboudou Sanou, Ibrahim Dembélé, Boureima Sanou
 舞台美術: Hervé Humbert

Our songs:

I. UNE FLEUR, UN CŒUR ET UN POING... 
V. DEMAIN, LA TERRE...


III. LE BENJAMIN MALGRÉ LUI... 

IV. MER...

our album

 
はじめまして、藤家溪子(フジイエケイコ)です。長年、クラシック音楽の作曲家として、オーケストラや室内楽、合唱などのために作曲してきました。2019年から縁あって西アフリカのブルキナファソの音楽家たちと共に現地でオペラを作るという、独創的な本プロジェクトを始めて、1年半になります。プロジェクトが大きく広がり始めた今、皆さまにプロジェクトのチームメンバーに加わっていただけたらと思っております。これまでの経緯とその想いを綴りましたので、少し長いですが、どうぞ最後までお読みいただき、共感いただけましたらぜひサポートいただき、サポーター/オブザーバーとして本プロジェクトに参加いただければと思います。
 

ブルキナファソに来て、ここでオペラを作ることにしたきっかけ

2004年頃から約10年間、家族で結成した山下和仁ファミリークインテットのための作曲と公演を中心に活動しましたが、その後、作曲の中心は9歳の時からの夢だったオペラに移りました。30歳の頃に、二つのオペラを京都と東京で初演しました。オペラの新しい可能性を探求するため、ヨーロッパへも何度も訪れ、ネットワークを広げ、様々な人々と出会いました。とあるとき、建築家の展覧会のオープニングパーティーで、フランシス ケレという、ブルキナファソ出身で世界的に知られた建築家と出会い、彼が将来、祖国にオペラハウスを作る可能性のある事を知りました。この出会いがきっかけで、それまで名前も知らなかったブルキナファソという国へ行くことになりました。


そもそもオペラとは何か

オペラは16世紀末にイタリアで生まれた総合芸術で、古代ギリシャの演劇を復興しようという動きの中で生まれました。演劇と音楽が一体となった様式で、たくさんのスタッフ - 台本、作曲、演出、舞台美術 - と、出演者 - 歌手、楽器演奏者、作品によっては役者やダンサーも参加して、制作されます。映画もテレビもない時代、芸術としての価値だけでなく、人々のエンターテイメントとしても重要でした。



 本オペラプロジェクトについて

1.プロジェクト概要


本プロジェクトは、オペラの原作となるコンゴ人ラッパーの書いた小説をもとに私が作曲し、3人のブルキナファソ人の音楽家と、フランス人の舞台演出家をメインに進めています。この3人の音楽家は、グリオと呼ばれる伝統芸能を継承する家系の人たち。日本のお家元にあたります。その中で、私と一緒にバンドを組んだのは、20代後半から30代にかけてのこの3人のグリオでした。アフリカの音楽のジャンルには、彼らの従来の伝統的な音楽と、欧米から来た楽器(ギターやピアノなど)とスタイルによるモダン、そしてそれらが混合したトラディモダンに分かれ、トラディモダンはトラディショナルが形を変えて生き残っていく道としても推奨され、期待され、注目されています。 私の制作しているオペラは、まさしくこのトラディモダンに相当します。
この国ではオペラというものはまだ知られていません。「オペラってなんですか?」とキョトンとする現地の人々と、まずは人間同士として交流を深め、その中で、彼らは日々何を考え、何を欲しているのかを感じながら、私の考えていることも少しずつ理解してもらうところから始まります。ブルキナファソでのオペラ制作は私の夢でしたが、その夢を心から共有してくれる仲間を得て、真の意味でのコラボレーションを実現するには、焦らず、諦めず、コツコツやっていくしかありません。
このオペラの特徴は、さまざまな国の音楽文化の融合であり、多言語で書かれているという点にあります。ブルキナファソという国自体がそもそも、多民族、多言語からなる国家で、幼い子供ですら三種類以上の言語を話すのが当たり前なのです。音楽は言語を超えた感情を共有、いわば超言語のようなものだとよく言われます。それは本当にそうなのですが、いっぽうで、伝統的な音楽がいかにその地の言語と分かちがたく結びついているかということも、見逃せません。ブルキナファソはもとフランスの植民地で、独立後もフランス語を公用語としています。ですが、フランス語をよく知らない国民もたくさんいます。家族間でフランス語で会話するのは、ごく少数の人々です。そこで私は、現地語の一つ、モレ語を習得する努力から始め、デュラ語、ボアモ語もオペラの中に取り入れ、フランス語だけのオペラにしないようにしています。私の、現地語を話したり、歌ったりする努力は、現地の人々から驚くほど歓迎され(というのは、ブルキナファソを訪れる多くの外国人はフランス語で押し通す傾向があるからだと思います)、同時に、少しでも日本語を話してみたいという彼らの願望を刺激しました。そんなわけで、このオペラには、日本語の部分もあります!日本の伝統音楽も、アフリカのと同じ五音音階で構成されていますし、太鼓がとても重要な点など、離れた地なのに共通点が多いのが面白いし、たがいに非常に親近感がわきます。琉球音階と同じ音階も使われていたので、これもオペラに取り入れています。
 


2. 原作の小説について


このオペラの原作は、アフリカのコンゴ共和国からの政治亡命者で、世界中を旅しているけどお母さんに会いに祖国に帰れない息子の自伝的物語です。息子はお母さんに手紙を書きます。でも、普通の手紙ではなくて、詩です。 欧米人がアフリカの現状や歴史を描いた文献や物語はたくさんあります。世界の他の地域の人々のアフリカに関する知識や情報は、ほとんどそれらから成り立っているといっても過言ではないほどです。しかしこのオペラは、アフリカ人が自らの視点で自らを語る、そういう作品にしようと心に決めていました。しかし、それは簡単ではありませんでした。どこかで耳にしたような文句の羅列や、先人達からの引用ばかりではなく、自らのことばで自らを語ることができる人は、何もアフリカに限らず、決して多くはないからです。さらに、アフリカには言語の問題があります。植民地時代の旧宗主国の言語が、そのまま公用語として、今も支配的なのです。全く異なる土壌で形成された、押し付けられた言語で、アフリカ人は自らを語れるのか?という疑問が、まずあります。言語とは、気の遠くなるような歳月をかけて、特有の土壌の中で培われてきたもので、祖先から連綿とつながって来た生活形態や固有の文化と分かち難く結び付き、私たちの意識の礎となっているものだからです。アジア諸国では、言語植民地化に対する抵抗は大きく、ベトナムもインドネシアもカンボジアも、フランスからの独立後は自分たちの言語を公用語としていますが、アフリカ諸国においては事情が違います。
 
 その意味で、Moyi MBOURANGON に出会えたのは天啓でした。ラッパー Matial Pa'nucci として活躍する彼は、言語に対して非常に意識的であり、必ず母語のリンガラ語で思考し、それを自ら仏語に翻訳すると言っています。と同時に、彼は自らのテクストが他のアフリカ言語に翻訳されることについては極めてオープンな態度を貫き、喜びを持ってそれを承認してくれます。
彼のこのような態度が、多言語オペラという、難しくはありますが、西アフリカの状況を映し出すには最適の、私たちのプロジェクトにとってどれほど有難いか、きっと想像していただけることと思います。
この物語は、彼の半自伝的小説で、未完ですMoyiはラッパーという極めて現代的な職種の人ですが、執筆はすべて手書きで、それをタイプしたものにする作業から始まります。2023年のオペラ完成に向けて、日々進行中のプロジェクトです。



3.プロジェクトの進捗状況と公演実績


本プロジェクト開始から1.5年経った現在、全3幕の内の第一幕が完成しています。この期間に、ワガドゥグーのゲーテインスティテュート及びフランス文化研究所にて公演を行いました。(2021年4月23日)

ワガドゥーグーのフランス文化研究所の所長Patrick Hauguelがオペラ・プロジェクトに興味を示してくれ、4月末に第1幕を同研究所で初演させてくれる事になりました。初めは、日本大使館の領事の紹介で彼に会いましたが、作曲家である私の話を直接聞き、CDを自分で聴いてみて、私の他のオペラもYouTubeでチェックし、この決定をしてくれたのです。
Patrickはその上、オペラは現地では馴染みがないし、あなたの音楽は素晴らしいけど、ポピュラー音楽じゃないから集客が難しいだろうと言って、急遽三日間のフェスティバルを仕立てて、その一環としてオペラ初演を位置付けてくれました。



4.このオペラを通して伝えたいこと・叶えたいこと


アフリカは日本にとってはまだまだ遠い地域で、旅行で訪れる人も決して多いとは言えません。特にサヘルと呼ばれる、サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域、西アフリカ諸国については未知の部分が大きいのではないでしょうか。貧困、疫病、テロリズムなどの暗いニュースは、むしろ伝わりやすいですが、そこに息づく豊かな文化、私たち日本人も大切にしてきた共同体や家族の結びつき、厳しい自然環境や貧困を生き抜いていく力など、素晴らしい部分をもご紹介し、共有させていただきたいのです。
ブルキナファソはもともと、観光で訪れる人は僅かでしたが、コロナの影響で、ブルキナファソ人が近隣諸国へ行って演奏したりする機会も次々とキャンセルされました。2020年前半のロックダウンの時には冠婚葬祭も禁止され、グリオ達は本当に餓える寸前でした。グリオというのは、日本の楽家や家元と少し似ていて、伝統芸能を受け継ぐ家系の人たちです。もともと各部族の族長に奉仕する形で、様々の儀式などの際に演奏していました。しかし、イスラム教やキリスト教が普及し、族長達の多くもそれらの宗教に改宗してしまうと、演奏機会を急激に失ってしまいました。市民の冠婚葬祭や、新年や祝日などの門付けで演奏して細々と食い繋いでいく現状です。そうなると、以前はなかったことですが、彼らも子弟を学校へ行かせ、他の、もっと安定した職につかせようとします。当然の経緯と言えますが、そうなると次世代の芸能のレベルはどうしても落ちて来ます。 一方で、レゲエなどの音楽が流行り、グリオ以外の人々、そしてグリオの中にも、ギターやベース、キーボードといった外来の楽器を演奏する人が増えて来ました。音楽ジャンルもそういったモダン、それと従来のトラディショナル、そしてそれらが混交したトラディモダンに分かれ、トラディモダンはトラディショナルが形を変えて生き残っていく道としても推奨され、期待され、注目されています。
私の制作しているオペラは、まさしくこのトラディモダンに相当します。




経済的な観点から見る、オペラ

1. 一般的に、オペラにかかる経費とその内訳


これは一言ではいえません。どんなに小規模の、出演者の数の少ない室内オペラでも、数百万はかかります。純然たる制作費に加え、会場費や宣伝費、出演者の移動費、出演料はもちろんのこと、長いリハーサル期間中の経費もかかるからです。新しい作品の場合、本来ならば脚本料、作曲料を支払う必要があります。出演料の高い歌手や、指揮者、また豪華な衣装やセット、大勢のコーラスが出演する場合などは数千万円か、それ以上という場合も珍しくはないでしょう。


2. 西アフリカの経済的な貧しさ、チームメンバーがグリオとして生きることの経済的な難しさ


ブルキナファソは世界最貧国の一つに数えられています。物価は、日本のざっと5分の1くらいです。来たばかりの頃は、人々の貧しい暮らしぶりに、かなり驚きました。 縁あって、ここでオペラ作りに取り組むことになりましたが、この国ではオペラというものはまだ知られていません。私は、この国の人たちに西洋の伝統的なオペラを紹介したり、それを普及させたいと思っているのではありません。アフリカ人が書いたアフリカの物語に基づいた、演劇と音楽の一体となった作品の制作、つまりアフリカ独自のオペラの誕生に立ち会い、協働したいのです。オペラは総合芸術で、たくさんのスタッフ - 台本、作曲、演出、舞台美術 - と、出演者 – 歌手、楽器演奏者、作品によっては役者やダンサーが必要ですので、いかに物価の安い国といえども、経費もそれなりに掛かります。

グリオたちは、自分の楽器を自分で作ります。修理も自分でします。しかし、楽器を作るための材料すら買えない人も多く、演奏の際は持っている人から借りるしかありません。学校へ行っていないため、読み書きのできないグリオも多く、そうなると、著作権協会のメンバー登録や、旅行の際の書類申請など、すべて困難です。近代化、時代の流れに取り残され、貴重な能力や技術を持つ人々が、時代に波に埋もれて行ってしまうのは何とも残念です。先進諸国から様々の援助が行われていることも事実ですが、それが隅々までいきわたるなどということは、夢のまた夢で、現実は厳しいです。私も、微力とはいえ、何とか彼らの素晴らしい音楽文化の継承と発展に、一役買いたいと切実に思っております。それは何も人助けということではなく、人類の一員として、価値あるものを大切にして、守り育てていくという義務だと思っています。






本プロジェクトにかかる経費とその内訳

完成版に至るまでの、今後の4公演全体的のミニマムの経費を、ざっと計算しますと以下のようになります。なお、会場費は各公演先が負担してくれる予定ですので、以下には含まれておりません。
1.制作費(脚本料、作曲料、舞台美術費など):80万円
2.人件費(出演料、音響スタッフなど):120万円
3.その他経費(宣伝費、出演者移動費、宿泊費、音響機材など):50万円


これからの予定

(2021年1月:オペラの中の5曲の歌をCDアルバムに録音して発売。その記念のコンサート ゲーテ・インスティテュート @ワガドゥーグー


(2021年4月:第一幕初演(duality) フランス文化研究所 ガーデン @ワガドゥーグー

2021年12月 :第二幕初演 (unity) フランス文化研究所 エキシビションホール @ワガドゥーグー

2022年4月 :第三幕完成 (diversity) Les Bamboo @ボボ・ディウラッソー

2022年12月 :全幕完成版 フランス文化研究所 大ホール @ワガドゥーグー 






さいごに

最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。つたない文章でどこまでお伝え出来たか不安ですが、もし、このプロジェクトにご興味を持っていただけたら、本当にうれしいです。インスタグラムでも、日々の生活ぶりをご紹介しております。どうぞこの、アフリカ独自のオペラの誕生へのプロセスに立ち会い、プロジェクトの経済面を支援していただけませんか? 
いつか必ず、日本での公演を実現させたいというのがメンバー全員の夢です。




マブドゥー・サヌー

ベンドレ、ジンベ、コーラ、ゴニ、タマニ、フルートなど数多くの楽器、そして歌と、なんでもこなす、われらがメインボーカル。37歳にして一族の家長として、母、多くの弟妹、親類縁者の面倒を見る、責任感の強い人。メンバーの中ではもっともフランス語の読み書きにすぐれ、ブルキナファソ人としては珍しく、英語も話せる。作曲、編曲にも優れた才能があり、このオペラにも曲を提供している。

アフリカのラム酒、マンゴスタンが大好き。

ブレイマ・サヌー

 マブドゥーのいとこで同い年。練習の鬼。一度も学校というものに通ったことはなく、

読み書きは全然出来ない。メンバーの中でヨーロッパへ演奏に行った経験があるのは

彼一人。とても優しい人だけど、頑固で保守的な一面もある。どんなに暑い日に、プー

ルに誘っても、決して入ろうとはせず、プールサイドで見ている、とか。

イブラヒム・ババ ・デンベレ

メンバー最年少、29歳。 マブドゥーの甥っ子。アフリカのバイオリン、ドゥードゥガを弾く人は多くはないので、希少価値で引っ張りだこ。お茶目でちゃっかりもの。自分のミスを笑い飛ばすのが得意の、憎めないキャラクター。両親と暮らしている家では、百羽ほどのハトを飼育している。

藤家溪子

マブドゥーにベンドレの特訓を受け、ようやく何とか舞台でも弾けるようになってきた。長年にわたり、作曲に専念してきたが、最近は演奏の喜びに目覚めた。アフリカの伝統音楽は楽譜のない世界なので、作曲だけして自分で弾かないというのは基本的にあり得ない話。46度にも上る気温にも徐々に慣れてきて、すっかり日焼けしながらも、
頑張っている。



エルベ・アンベール

フランス人。もともとは、自らの手でブロンズ像などを制作するのが本領の アーティスト。15年間ベルリンでアートの仕事をしてきました。近年映像への興味が増大し、ビデオ作品を制作している。レジデンスアーティストとしてブルキナファソに招かれていた期間に私と出会い、オペラプロジェクトに身を投じてくれました。大の日本好きで、恋人も日本人(私ではありません!)。初の映像作品は「鴨川ソング」という、京都の鴨川をテーマにしたものです。しかしながら、ブルキナファソにもただならぬ愛着を覚え、最近土地を購入し、プル族風の家も建てました。オペラの舞台美術を担当、大スクリーンに映し出されるる映像はすべて彼がブルキナファソで撮りためたものです。

ラミッサ・デンベレ

コメディアン。ダンスも
楽器演奏もうまい。4月23日の公演では物語の主役をつとめた。

ニナ・ベルクラツ

コンテンポラリーダンスの振付家/ダンサー。 
フランスからはるばる駆けつけて4月23日の公演に
参加してくれた。

ラティファトゥー・ウェドラオゴ

抜群のスタイルを誇る、
大学生。今回はラストの曲でコーラスに参加した。


作曲家よりコメント 藤家溪子 

2011年にフランス·コンゴ研究所が主催したライティング·コンペティション「Dis-moidixmots」で1位を獲得したMoyi MBOURANGONはラッパーとして長年活躍してきました。それに飽き足らず、新たな表現領域を模索して、初の長編小説に着手しました。私はその小説をもとに、オペラを制作しています。

  Moyiは常に自身の母語-リンガラ語で考え、そしてフランス語で執筆します。

  アフリカのフランス語圏では様々の現地語が活発に話され、ほとんどの人々は、バイリンガルならぬマルティリンガルです。しかしながら、教育の普及はまだまだ十分ではなく、公用語であるフランス語を解さない人々も決して少なくはないのです。

  この特殊な言語環境において極めて敏感、かつ、意識的なMoyiの創作には非常に魅力があり、それをオペラ化することで以下の3点が期待されます。

 1. アフリカ固有の言語感覚や思考プロセスがフランス語で表現され、フランス語に新しい地平が開かれること。

 2. フランス語の原文がMoyiの母語·リンガラ以外のアフリカ言語に訳されるとき、アフリカの民族間の感覚、習慣の微妙な違いからヴァリアントが生み出されること。

 3. それらがオペラの歌詞となったとき、言語を超えた音楽の表現と渾然一体し、私たちは意識の言語化という一種の軛から半ば開放され、意識本来の豊かさを取り戻す可能性があるということ。

  また、小説の内容そのものが、ヨーロッパや日本の人々の、アフリカ社会への興味と理解を刺激し、促進するに足る、Moyiの、いわば自伝的作品であることを付け加えさせていただきます。

プロジェクトの沿革 

 2019年1月に、私はブルキナファソ出身の世界的な建築家Francis Kéréとドイツで出会い、オーストリアの演出家·Christoph SchringenziefがスタートさせたVillage d'Operaの話を聞きました。10年前に、アフリカ×西欧のガッツリとぶつかり合う形でのコラボレーションにより、今までにないあたらしいオペラを作ろうという夢を描いて、Ouagadougouからそう遠くない場所にComplex Siteが建設され、Village d'Operaと名付けられたのです。

 

 しかし、着工まもなくShurigensziefは他界し、Siteの中心に建てる予定だったオペラハウスも全く建設の目処が立っていないようです。

  私はFrancisに、オペラハウス以前に、まずアフリカ人たちとのコラボレーションでオペラを1つでも完成させるのが先であり、アフリカの風土と音楽、そして文化全体に馴染んでいけるオペラ、それにはどんなハウスが必要なのかはそれらの経験の積み重ねの上で考えるのが妥当だと提案しました。ブルキナファソの気候でしたら屋外公演も可能です。

  Francisも心から賛成してくれ、また、ヨーロッパに限定せず、日本とのコラボレーションでオペラを制作することに、たいへん魅力を感じてくれています。私たちは、オペラ制作をFrancisの故郷、Gando村の、彼がコミュニティーの人々を総動員して作り上げた学校で行うことを計画しました。

  そんなわけで、2019年7月に初めてブルキナファソを訪れ、Gando村とその学校を見て、人々と交流を始めました。しかしながら、コロナの影響というだけではなく、私自身がアフリカの音楽と文化を学ぶ必要から、まず、Gando村ではなく首都Ouagadougouで伝統音楽継承者たち(griotと呼ばれる家族集団)とオペラ·プロジェクトを開始することにしました。

  現在3回目の訪問で、滞在は計1年2ヶ月になります。ようやく現地語(Moore)でコミュニケーションが出来るようになってきました。griotたちとのとのコラボレーションは順調に進んでおり、4月23日には現地のInstitut Françaisで新作オペラの第1幕を発表します。今までのところは自分のポケットマネーで彼らとのアルバム制作から小さなコンサートまで行ってきました。資金不足やコロナの影響の苦労もありますが、思う存分の時間をかけてアフリカの人々から学び、自分のほうからも新しい要素を提供し、ともに作り上げる喜びを共有しています。

 

  なんといっても世界最貧国のひとつに数えられる国ですので、最初のうちこそ人々の暮らしぶりの貧しさに驚きましたが、最近は慣れて来て、慎ましい家を建て、現地の人と変わらない暮らしをしながらのオペラ制作です。